こんにちは ゆん です☆彡
かなしい知らせが飛び込みました。
双子で有名なおすぎとピーコさん・・・
ピーコさんが、まさかの亡くなりました。
どんなふうに生きてこられたのか生い立ちをまとめましたのでごらんください。
ピーコの生い立ち
幼い頃の様子
6人兄弟の次男だったピーコさん。
ピーコさんが産まれたとき、ご両親が比較的年齢が上であったためとても大切に育てられたそうです。
特に母親からは、
「お兄ちゃんとして弟を守る役割を任されていた」そうです。
それだけ期待されて育てられたのでしょうね。
戦争の影響で家族は何もかも失ったと言われています。
その苦労の中で子供たちを必死で育てようとしていたのでしょう。
進学を断念
高校を卒業したら大学へ進学するはずでした。
ところが、父親が病気になり治療費がかかるため進学を断念しました。
家族の為に働くことを選びました。
高校卒業後、「横浜トヨペット」に入社しました。
ところが、力仕事が多く体を壊してしまい退職しました。
その後、電飾工場への転職を経て、1964年(昭和39年)に「サンヨーレインコート」に入社しました。
24歳の時、「今後ファッションの仕事をしていくには基本から勉強しなくてはいけない。素材やデザインなどにも精通していなければプロとは言えない」
「(シャンソン歌手の)イブニングドレスが作りたい」
その気持ちから、おすぎさんが阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業・広告代理店に就職したのを機に、ピーコさんも「サンヨーレインコート」を退職し、文化服装学院のデザイン科に入学しました。
芸能界へのキッカケは
芸能界との関係は26歳の時、弟を通じて裏方としてドラマ衣装の製作を頼まれたのが最初でした。
1975年(昭和50年)、おすぎと共に、双子のオカマコンビ、「おすぎとピーコ」としてテレビ・ラジオデビューしました。
その後も、数々の番組で司会者を務めたり、コメンテーターとして活躍されていました。
どの番組にもお二人の姿をよく観ていました。
70代になってからの様子
70代に入ってからも精力的に芸能活動を行っていました。
ところが、2021年の夏頃からおすぎさんに認知症の兆しが見られ、おすぎさんはレギュラー番組を降板し芸能活動を休業しました。
ピーコさんもまた2021年12月にバラエティ番組に出演したのを最後に芸能活動は行っていません。
弟の身を案じたピーコさんはおすぎさんと同居を始めます。
しかし、この同居生活を機に兄弟仲が再び悪化していきます。
ピーコさんにも認知症の症状の一つである思い込みと妄想癖の症状が現れたため、2022年2月に同居生活を解消しています。
おすぎさんは要介護認定を受け、横浜市の高齢者施設に入居しているそうです。
やはり年齢にはかてませんね。
認知症になりたくない!と思っていても防げないのでとてもツライですね。
ピーコ亡くなる
悲しい知らせが目にとまりました。
2024年9月3日に、敗血症による多臓器不全のため神奈川県内の病院で亡くなっていたそうです。79歳没。
この訃報は、同年10月20日に明らかになりました。
葬儀は近親者で、済まされたそうです。
喪主はおすぎさんが務めたとありますが、認知症の影響でピーコさんの死を認識していなかったと言われています。
ピーコのwikiプロフ
ピーコさんといえば双子で有名ですよね。
- 本名:杉浦 克昭(すぎうら かつあき)
- 生年月日:1945年1月18日
- 職業:ファッション評論家・ジャーナリスト・コメンテーター
- おすぎさんとは一卵性双生児です。
ともにデビュー時から同性愛者であることを公表しています。
ピーコと呼ばれるようになった理由
当時働いていた、「サンヨーレインコート」での出来事です。
倉庫で札をつける作業のときに黙々としていると、すごくつらかったのでおしゃべりをしていると音が反響してうるさかったようです。
そこでその場にいた方に
ピーピー、うるさいぞ!ピーコ!
と言われたのがキッカケのようですね。
そこからあだ名になったそうですよ。
まとめ
悲しい訃報が入りました。
懐かしいですよね~、おすぎさんとピーコさんのやりとり。
もう観ることはないのですから・・・
ご冥福をお祈り申し上げます
最後までご覧いただきありがとうございます。